2007年07月13日

オーバーアクション

言葉の重さを感じていないときはまだ
好き勝手に話していたが、その言葉を話す
と誰かを傷つけるかもしれないと緊張感を
持って話せるようになりました。
いいことだとは思うのですが、なかなか話
辛くなってしまいます。だけども
伝えるために何をすれば一番伝わるものだろう
と考えました。
きっとできることがたくさんある、なんて
めげずに考えていたら、オーバアークション
身振り手振りを激しくして話すと笑いも取れるし
何より自分が楽しく話せるのが良いです。
ちょっと海外の人っぽく話している自分が
楽しいです。
明るい話題なら楽しそうに、暗い話題ならヘンテコ
な考え方をしている人のようにわからなければ
まったく考え付かないようなアクションを。
ずっと感じていたことですが、伝えたいと努力
すれば伝わらないなんてことは無いんだと気付きました。
まだまだ不十分ではあるが頑張ろうと思う。
【考え方の最新記事】
posted by 道 at 22:11| 考え方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月24日

興味

少しの興味ですぐ行動するのは良いのだけれど。
少しの興味で行動してしまうから短命だ。
短命すぎて自分で笑ってしまう。

短命で何が悪い。
興味が湧くのを待つのが悪くないのか。
興味を持てるように自分に仕向けるのか。
体に聞いてみても、十分な答えは出そうにない。

言葉の反射で神経をすり減らして
息を吐いたら、また少しの興味が涌いた。
だからまた行動しよう。
短命でも良いじゃない。
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2007年02月19日

途方にくれる

向かう方向が無くなったと思えることは、
人生において何度となくやってくる気がする。

これは誰にでもあるものと簡単に言えるものではない。
人によっては無いかもしれないし、あるのかもしれない。
ただ、そういう事が多くあることで新たな道が
発見されることも可能性としては否定できない。

これは決して短絡的に楽観視しての結論ではなく、
そうであって欲しいと願う気持ちの表れとして
述べているにすぎないが、そう考えることで
前向きになれるのならば、悪いことではないと思えて
仕方がない。
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2007年02月07日

屈託

集中力を失うことは、別に悪いことでもない。
それは、そうしたくないから集中力が湧かないと
考えてみてもいいだろう。

今まで全く無いというなら、本当は興味のないものばかりに
時間を費やしていたのではないだろうか。
屈託に物事を進めることは、とても重い作業だと
感じる。
集中している時間は瞬く間に過ぎる。
屈託な時間は、遅いと感じるのが自然なのかもと
思える。
何かを突き詰める時は、生きている間の貴重な瞬間なのではと
過去を振り返ると思うときがある。

過去というのは、その時には大体が気がづかないからだ。
それは、どんなことにも共通することなのかもしれない。
楽しいときは、なかなか気付くものではない。
時間の意味というのは、とても複雑と思えてならない。
意味を認識することは、とても敏感に感じれないと
無理なことなのかどうかの結論は簡単に見出せない。
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2007年02月01日

不本意

何かに真剣に打ち込むことは、それが本人の意志から
成り立つものでしかない。
全てに真剣に接するというのは、とても難しい話だ。
気楽にしたいことも沢山ある。
何も考えずに時間が過ぎるのを待ちたいときだって存在する。
何事にも集中しなくてはならないというのは、疲れる。
それでも味気さなを感じたならば、そこから真剣になればいい
だけなのかもしれない。

不本意に生きていると、どこかで自分の意志とかけ離れている
ことへの抵抗から葛藤が生まれることも感じる。
嫌いなこと、嫌いじゃないがやりたくないこと。
挙げればきりがない。

少なくても、そこからは何も意味を持つことはない。
逆にやりたいことをやれば気が済むのか?
そうとも言い切れない、自分本位の生き方は時として
周囲に迷惑をかけることも可能性としては出てくる。

それでは不本意にしか行動は出来ないのかと思えてきてしまう。
そこは、自分の意志によって選択を一つ一つしていくこと
が肝心なのかもしれない。
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2007年01月28日

勉強

学習するということは、別に学校だけでもない大学を卒業してから
社会に出れば社会勉強が待っている。
それからは本人の志ひとつで、生き方は変わってくる。
定年まで勤め上げる人から途中で独立して成功する人など、
十人十色である。

それは、それぞれの適正や努力によって選択肢が出現してくるの
ではないかと考えたら面白い。
確かに友人や知人を見ていても向き不向きというのは察することが
できる、とは言っても他人からみた評価はかなりいい加減なものである。
内面は映し出すものもあれば、秘めている部分もあるので
他人の評価を鵜呑みにするのは危険ではないだろうか。
参考にする程度、いやそれ以下でもいいかもしれない。
結局は自分の意思が全てだから、不要なものは取り払うことが
重要な時もあるではと思う。

しかし独りよがりとなると、話は別になる。
オーバーに言えば、野球の経験も無くなんの適正もないのに
プロ野球選手になることを真剣に考えるのは無謀な考えだろう。
それでも少しでも適正があるならば、後は本人の意思ということになる。
意思だけでは、どうにもならないことも沢山あることは否定できない。
これは本人の才能や、改めて勉強していく姿勢なども問われており
最終的には適正があったかどうかだけなのかもしれない。
挫折といえば簡単だが、違う道なら成功していた可能性もないとは
いいきれない。
そういう面からも、自分に合った道を選ぶ必要性があるのではないか。
posted by 道 at 04:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 考え方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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